映画『国宝』の照明を担った中村裕樹氏へのインタビュー。
前編では、作品全体を包む“光の設計”とラストシーンの照明演出について語っていただいた。
後編では、本作を象徴する場面のひとつ「曽根崎心中」「鷺娘」を中心に、
舞台照明の経験を活かした“手仕事の光”や、キャッチライトの表現、
そして照明技師としてのこだわり、映像制作に向き合う姿勢について掘り下げていく。
前編はこちらから
https://rex-gear.info/archives/1232
映画『国宝』の照明技術
「曽根崎心中」「鷺娘」のスタジオセット
── 技術的な面についてもお伺いしたいと思います。「曽根崎心中」や「鷺娘」は実際の舞台ではなくスタジオのセットで撮影されたそうですが、その時の状況を教えてください。
中村:
最後の日乃本座は京都東映11stを目一杯使ってセットを建てています、それが一番大きなミッションでしたね。
中須:
セットというのは、撮影所のスタジオに劇場を再現した、ということですか?
中村:
そうそう。言ってみれば、一から劇場を作るということだから各パート大変でした。

実際の劇場には舞台の上に無数のタングステンライトが何層にも並んでいて、さらに客席側にもびっしりあるんです。あれを東映スタジオに持ち込むには、舞台照明の会社からかき集めて、巨大なユニットを組んで調光を通す必要があって、ものすごい手間と費用と時間がかかるんですね。
しかも東映の11スタは高さが10メートルちょっとあって、天井足場までに障害物もあり、多くの舞台用ライトを吊るには困難、だから「舞台はLEDでやるべきだ」と考えました。スピードの問題もあるし、時代性から考えても日乃本座はむしろ現代的な光のほうがふさわしいと思ったんです。
ただ、照明の吊り込みを全部手作業でやったら、とんでもない人数と時間がかかる。だから昇降できるトラスバトンが必要だったんですが、東映のスタジオは古くて耐荷重が正確に分からなかったんです。トラスの業者さんからは耐荷重が分からないと安全が確保できなくて施工出来ないと言われました。途方に暮れましたね。
中須:
なるほど…。そこからどう解決されたんですか?
中村:
美術部も同じ問題を抱えていました、本来、舞台には何トンもある緞帳(どんちょう)がかかるんですがそれを再現したり、大きな構造物を作るためには強固な骨組みが必要になる、そこで美術部は優秀な鉄骨屋さんと組んで耐荷重がクリアできるような強い鉄骨のアングルを天井足場に作り、それを支点にして構造物を作る解決法を考えました、それでようやく我々照明部も昇降バトントラスが施行されLEDを本格的に使える環境が整ったのです。美術部と鉄職人友井さんに感謝です。

客席側も本当は作り込みたかったけど、コスト的に難しかったのでそこは手吊りにしました。
── かなり現場での工夫があったんですね。
中村:
ええ。それに加えて、ピンスポットライト(以下、ピンスポ)の問題もありました。2人の踊りを追うために正面に2台、さらに花道用に側面からも2台のピンスポが必要。
しかも李組は踊りをワンシーンで通すので、ぶつ切りで撮らないんです。だから踊りの流れに合わせて正確に追えるプロのオペレーターが不可欠でした、花道から舞台正面への光の受け渡しとか、2人が舞台上で交錯する際のピンスポ技術とかは職人技なので、実際にその演目を経験されたピンスポ専門の方を外部から呼びました。
ただ、観客席はフルセットではなく2階席の上からはほぼCG合成になるので、「どの位置からピンスポが来るのか」がリアルに見えるよう、高さの計算が必要でした。そこでスタジオの一番奥にイントレを6段積んで、三重と壁に固定して安全を確保し、その上にピンスポを設置したんです。
中須:
なるほど、それでピンスポの位置問題がクリアしたんですね。
中村:
そう。美術部が日乃本座の設計図面にピンスポの位置を組み込んでくれて、高さも計算できた。最終的に、後でCGになる客席とも矛盾しない形になったんです。
本当に、日乃本座は綱渡りみたいなことばかりでしたね。

キャッチライトについて
―演者の目の中に入る、いわゆる「キャッチライト」も印象的でした。
-豆知識- キャッチライトとは、人物の目に映り込んだ光の反射のこと。
中村:
キャッチライトは、あえて強く入れようとはしていません。やっぱり状況によるものですね。最初の料亭のシーンは、外が白い雪景色なんです。自然と外光が反射して目に映り込みますが、光の質自体は柔らかく作っているので、ギラッとした感じにはならない。舞台上では正面からのピンスポットが来るので、それも自然にキャッチライトとして働きます。
中須:
ピンスポがあると嫌でもキャッチは入りますしね。
中村:
そうなんです。中須くんからもキャッチライトについて意図的か?と聞かれましたけど特別に「キャッチを効かそう」とはしていない。ただ、この映画はクロースアップが多く眼の中に映るものとても重要でした、俳優の眼の中の光も自然に且つ力を持つ様意識した結果だと思います。
例えば、渡辺謙さん演じる半二郎が大垣家のリビングで「芸は刀より鉄砲より強いんや」と語るシーン。
あそこはかなり暗めの設定にしました、卓上からの僅かな光源を活かし最後の台詞がなんとか見える程度に抑えてあったんです。ところが芝居を重ねる中で、半二郎が想定より前に出てこないこともあって、下からの光の影も影響してさらに暗く見えるテイクもありました。正直「暗すぎるかな」と思う瞬間もあったんですが、本編で使われているのは、程よい見え方になっているテイクでした、謙さんの芝居と監督のOKと照明の狙いが合致したシーンです、眼にも微かなキャッチがはいっているしラッキーでしたね。
ロケセットでの印象的な話
── ロケセットでの撮影時に、テイクを重ねていくと逐一状況が変わりますよね。
中村:
そうですね。特に喜久雄が抜擢されて「曽根崎心中」を見事に演じ、それにショックを受けて俊介がロビーに出ていく。春江が追ってきて二人で逃げるっていうシーンがあったんだけど、あの芝居は監督も俳優も腹に落ちるまでいろんなパターンをやったりしましたね。
「こうやってくれ」じゃなくて「気持ちでやったらどうなる」っていう話をするんですね。
中須:
なるほど。俳優部に考えてもらうというような。
中村:
そうそう。これ、台本では俊介が春江の手を引いていくってなってるところが、本編は春江の方が俊介の手を引いていくことになる、これは舞台上で喜久雄が演じている「曽根崎心中」の道行の場面とシンクロしている素晴らしい演出ですが。

©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会
そんな重要なシーンだから、テイクを何回も重ねて外がだんだん暗くなっていくんだよね。中は劇場のロビーだから、備え付けの電飾がコントロール出来なかった。そしたらソフィアンが「中の電飾が明るくなってきた」と言い出した(笑)。
中須:
だんだん絞りが開いてくるんですね(笑)。
中村:
そう。でっかい古い電飾なのね、そこの劇場の、それであんまりいじると壊れそうな不安もあってそんなに暗くなるまで撮影しないだろうとそのままにしておいたんだけど、「それにNDフィルター貼って」とか指示をだして、脚立でやっていたら、どんどん外が暗くなっていくの。まあ、一方でそういうドタバタがあってギリギリそういうシーンが撮れたみたいなところもある。常に綱渡りだよね。
映画『国宝』の照明技師として
心が揺れた瞬間
── 撮影を通して、”心が揺れた瞬間”というのはありましたか?
中村:
そういった瞬間は、あるね。
やっぱり一番、この映画で重要だと思ったのは、「景色を探してる」っていうこと。
喜久雄がね、どういう景色を探してるのかっていうことなんです。
僕は九州の田舎で生まれたんですけど、学校まで1.5kmぐらい、田んぼ道みたいなところを通っていて。集団で行くことが多かったんですが、たまたま一人で通学する日があって、それが雨上がりの朝だったんです。太陽が当たっていて、湯気というか、霧みたいなのが立ち上って、すごく良い匂いがして、そこには光があった。
いつも通ってる通学路の景色なのに何故か立ち止まって、その情景に感動したことがあるんです。
匂いと温度と湿度と光が合わさっていて、多分その日の気分も作用したのだと思うけど、感動して、涙が出て立ち尽くした日があったんです。それはその日だけなんですけど。
それから、照明の仕事をするようになり、ふっとあの時の感覚は何だったんだろうなと時々思ってたんです。そして喜久雄が追い求めている景色というのは、もしかしたらそれに似ているのかもしれないなと。
だから雄大な景色とかじゃなくても、理屈じゃなくても心に強くグッとくる情景。そういうものが存在すると確信して、いつかそういう映像が創れたらいいなと思っていて。
── 実際に上映後は、「映像が綺麗」という声も多く寄せられていましたね。
中村:
そうですね。その中に光が関与していて、その美しさを感じる映像に貢献できていたら嬉しいなと。
自分では光が大きくそれに作用しているんじゃないかなと思うけれど、やっぱり映像を見ただけで無条件に感動できるような、そんな画作りができればいいなと思っています。
照明技師として大切にしていること
― 照明技師として映画制作に関わる中で大切にしていることや、こだわっている部分はありますか?

中村:
光の仕事って、本当に繊細なものだと思うんです。決して簡単にできるわけではない。昔は「照明待ち」が常識のようにあって、その間に他のパートや俳優が休んだりの空気もありましたが、今は「照明待ち」がしにくい風潮もある。
でも必要な時間は必要なんです。時間をただかければいいというのではなくて。迅速に進めるためには優秀な助手と的確な指示が不可欠です。ただ、それでも微妙なところで少し時間が必要な時がある。その時に躊躇するか、やるか──。そこは照明を担う人間にとって「やってほしい」と思う場面 なんです。
中須:
作品に厚みを与えたり、画をより良くするためにやっていることですから、これだけはやらせて欲しいと思う瞬間がありますよね。
中村:
僕自身、外国の撮影監督と一緒にやってきて思うのは、日本の照明技師というのは独特の存在だということ、多くの先輩照明技師の方々の名作映画の仕事には、今見ても「どうやって照明したのだろう」と驚くような作品がたくさんあります。そうした先輩方の技術や感覚の積み重ねをきちんと継承していきたいと思うんです。
今は技術の進化で、カラーフィルターを一枚一枚貼る代わりに手元で色を調整できるようになり、作業のスピードも飛躍的に上がりました。でもスピードばかりを求めすぎると、自分の意思が画に反映されないまま終わってしまう。そうなると「この作品は自分が責任を持ってやり切った」と思えなくなる。それは残念なことだと思っています。だからこそ、やるべきことはやるべきなんです。
それを中須君が引き継いでくれるといいんだよね。俺は中須君にもっとヤンチャになってほしいんです。
中須:
なんでですか(笑)。
中村:
機材を多く使うとか時間がかかるとか、あれこれ言われることもあるけれど、本当に必要なことなんだから、そうお手軽にはいかないんだっていうこと。
中須:
そうですね。ちなみに、中村さんは岩井組など、フィルム時代から照明をされてきましたよね。
最近はデジタルの現場が増えていますが、照明のアプローチは変わりましたか?
中村:
変わったね。LEDが出てきたことで相当な時間短縮になっている。それに光の質を作るときも、反射させてディフューズするような手間がある程度省ける。そういう利点は確かにあります。ただ、手間をかけるからこそできる表現もある。だからこそ、スピードばかりを追い求めるのではなく、そこはきちんと見極めなければいけないと思います。基本的にはフィルムとデジタル撮影にはライティングの違いはないと思います。

中村さんの原体験について
── ご自身の照明スタイルを作った原体験はありますか?
中村:
自分にも助手の時代があったんですけど、もう全然ダメダメな助手だったんです。なんでいちいちライトが必要なのかも分からなくて。ましてや当時はテレビの現場が多かったから、毎日何十カットも撮って先輩の言うことを速く的確にやる助手が重宝されていて。
そんな中で、もう本当に全く分からなくなって、言われたことをやるだけの毎日で荒れてました、結局ある現場でクビになって 挫折して田舎に帰ったんです。
── 一度は現場を離れられたんですね。
はい。田舎に帰って就職するかな、なんて考えた時期もあったんですが、四人兄弟の末っ子で、東京に出て「映画の仕事をやりたい」と言って出ていった手前、東京で挫折したとは言えなくて、でもその時、両親は何も言わずに居させてくれたんです。それが逆に心に響いて、「ここで終わっちゃダメだ」と思い直して東京に戻りました。
そこで、高野和男さんという照明技師の方と出会ったんです。その方と気が合って、すごく可愛がってもらいました。人間同士って相性があるけど、自分にとっては大きな出会いでしたね。その方と一緒に仕事をする中で、現場での立ち振る舞い、ライティングの技術とか学びました。
── 技術的にも時代の変化があったんですね。
そう。当時はまだグリップアクセサリーなんてなくて、ライトを細引きで縛ったりしていた時代でした。そこに海外から新鋭のライトやグリップ機材が入ってきて、照明による表現の幅が広がった。そういうフレキシブルな機材が出てきたのも大きくて、「これは面白い」と思い始めたんです。
その後、いろんな場所にライトを仕掛ける技術を持つ人たちが出てきて、HMIライトが出始める過渡期でもありました。高野さんの誘いでポール.シュレイダー監督の「MISIMA」という映画に参加するのですが、アメリカ映画の大作で本場の最新のライトやアクセサリーも大量に入ってきて、その合理的な機材、技術と大胆な発想のライティングに目を見張りました「照明って面白いな」と思うようになっていったんです。
そしてアメリカのドキュメンタリー映画の撮影で「夜の大捜査線」や「カッコーの巣の上で」の撮影監督、ハスケル.ウェクスラーの現場に照明で就く機会があり、彼の自然光を活かしながらもドラマティックな光の演出を学びました。
今後の展望
── 今後、挑戦してみたい表現やテーマはありますか?
中村:
その監督、作品によって違うんですよね。例えば李監督は、毎作品違った種類の挑戦がありハードルもどんどん上がる。だから次にどんなことが来るのかっていうのは、楽しみでもあるし恐怖でもある、ただそれに挑戦することはすごくワクワクもする。
結局、自分の引き出しの中だけでやってしまったら、ステップアップにはならない。だからこの年になっても難題を一つ一つクリアして行き、自分自身も驚けるような『新しい表現の発見ができる』作品に出会えること が成長につながるのかなと思います。
中須:
今が、頂上ではないということですね。
登りきったと思ったらまだ上があったというか。
中村:
そうね。毎回題材が違うから、「ああ、この難題をやるのか!」とドキドキするんです。でも、その題材を監督自身が勇気を持って突き詰めようとしているからこそ、ごまかしがない。そこの高い目標まで到達しようとしているし、僕らも一緒に本気で取り組む。
今回の映画でも、俳優が歌舞伎役者を演じて50年の波乱万丈の人生と時代を描くと言う途轍もない挑戦でした、難題は山ほどあったけど決して諦めたり妥協はしなかった、それがなんとか完成して公開されて、こんなにも多くの方々が観てくださり愛していただける作品になったということは、ちょっと奇跡に近いことだと感じています。

映像業界を目指す人へ
── これから、映像業界を目指す人へ照明技師としてメッセージをお願いします。

中村:
映像にとってね。光というのは、すごく重要です。
映画の演出や見せ方にも関わってくるものだと思う気持ちでやってほしいと思う。
ただ、そういった考え方や技術は簡単にできるものでもなく、様々な感性を磨いていってできるものなので、色々な物を見たり感じたりしてほしい。
僕が思うに、”光で物語を語る感覚”っていうのが大事なことだなと。
そういう職業に、これからもなっていって欲しいなと思います。
映像業界を目指す人には、もし挫折してもめげないで続けてみて欲しいと思います、僕がそうだった様に若い頃の挫折は失敗ではなく次のステップアップへの足掛かりだと思って。
小野川万菊の「それでもやるの!」の精神でね。

まとめ
照明は単に被写体を照らす技術ではなく、
登場人物の心情や物語の温度を伝える“語りの手段”でもある。
映画『国宝』で描かれた“光”は、
俳優の演技と技術者たちによる現場の判断が重なり合うことで生まれたものだ。
中村氏の言葉や現場での判断の一つひとつには、
長年にわたり積み重ねてきた経験と、
「映画をどう照らすか」という揺るぎない信念が息づいている。
今回のインタビューで語られた技術と想いが、
これからの映像制作に携わる多くの人の“光”となれば幸いです。
🎬 本編インタビュー映像はこちら
👉 映画『国宝』照明技師インタビュー(YouTube)